パステルブルーの祝福を

少しずつ文学少女でなくなってくわたしの読書記録です。

本には思い出を挟んで

 

本を読んでいるとはらりと紙片が落ちてくることがある。

 

挟まれていたのはオーソドックスにもともとその本に挟まれていた新刊の案内だったり、自分で挟んだ映画のチケットだったり、さまざまだ。

特にわたしはレシートでお財布がぱんぱんになるのが嫌だけどレシートをもらうのを断れないタイプで、そういうとき大体持っていた本に挟んでおく。だから、本を読んでいると昔その本を持って出かけた時のレシートが落ちてくることも多い。

 

そんなことをふと思い出したのは、先日北村薫さんの『街の灯』を読んでいてレシートが出てきたからだった。

 

街の灯 (文春文庫)

街の灯 (文春文庫)

 

(このお話はとても描写が美しくてストーリーも面白い傑作なのだけれど、くわしい感想などはまた今度にしようと思う)

 

出てきたのは2017年8月3日(木) 11:08のレシート。松屋銀座のレシートだったのだが、わたしは特に普段松屋銀座でものを買うようなことはない。

なんだろうと思って見てみれば、なんのことはない。ちょうどその時西尾維大辞展が開かれていて、その際のレシートだったのだ。

 

他にも伊坂幸太郎さんの『重力ピエロ』からエイプリルフールズの映画チケットが出てきたり、魔女の宅急便2巻からは桜の花の押し花が色褪せて出てきたりしたりした。

エイプリルフールズを観に行ったのは三年前の春、大学一年生になったばかりの頃だった。

(実は人見知りなのを隠しつつ猫をかぶって大学に馴染もうとしてたので、疲れきってとんでもなく笑えそうな映画を観たくなって1人で隣駅の映画館で観たのだ。狙い通りとても笑えたけど、最後は少し泣いた)

魔女の宅急便に桜の花を挟んだのはたぶん小学生の頃だ。

(小学生の頃のわたしは花が好きで、マンションの植木に咲いていた金木犀の落ちた花を水に浮かべたりしていた。すぐに香りがなくなって悲しかった)

 

街の灯から出てきたレシートは一年前のものだったけれど、たまにそんなハッとするような古い"栞"に出会ったりする。それが意外と楽しくて、たまに意味もなく本のページを繰る。

そうするうちにふと思い出したのがこの本たちだ。

 

本日のおすすめ図書。

『九つの、物語』橋本紡

 

九つの、物語 (集英社文庫)

九つの、物語 (集英社文庫)

 

 大学生のゆきなは、両親が海外へ行ってしまった家でひとり暮らしをしている。そこへ二年前にいなくなったはずのお兄ちゃんが突然現れるのだ。女性と料理と本を愛し、奔放に振る舞う兄に惑わされつつ、ゆきなはそれを日常として受け入れてゆく。

 

この本は名前通り9つの物語が出てくる。(最後にはサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』も出てくるので私は思わずにやけてしまった)

わたしが思い出したのは第七話「山椒魚(改変後)」だ。

この章にはゆきなとお兄ちゃんが一緒に"本貯金"を探すシーンがある。本貯金とは読んでた本に使うアテのないお金を挟むというものだ。ふたりは一緒に本に隠されたお金を探す。

本に隠されたお金を捜すのは楽しく、わたしたちは夢中になった。一生懸命、本を捲り続けた。本棚の右端と左端にいたわたしたちは、だんだん近づいていった。『ボヴァリー夫人』に千円札が一枚。『ゴリオ爺さん』に五千円札が一枚。『極楽寺門前』に千円札が一枚。そしてなんと、『影の獄にて』には、一万円札が挟んであった。

とても面白そうである。お兄ちゃんは『影の獄にて』の第二話『種子と蒔く者』がおもしろくて、その対価として一万円札を挟んだそうだ。

わたしもそんなことをしてみたいけれど、評価がゆるゆるなのでたぶん1ヶ月に10万円くらい挟みたくなってしまうと思う。本貯金をするとしても社会人になってから、それもたぶん千円札だろうな。

 

そうして見つけた五万三千円を使ってお兄ちゃんとゆきなは旅に出る。

どこへ行ったのか、どんな旅だったのか。それは是非この本を読んでもらいたい。

さまざまな小説が登場するのもそうだが、この本にはいろいろな料理が出てきてそれがとても美味しそうなのも魅力のひとつである。なんだか、ゆきなたちがちゃんと"生きてる"という感じがするのだ。

巻末には物語内で出てくる料理のレシピも載っているので、それを見てつくった料理を本を読みながら食べるのもいいかもしれない。

 

そしてもうひとつ。

 『流れ星が消えないうちに』橋本紡

 

流れ星が消えないうちに (新潮文庫)

流れ星が消えないうちに (新潮文庫)

 

 橋本紡さんの書く物語には、本に何かを挟むという描写がよくある。

この『流れ星が消えないうちに』もそのひとつである。

 

主人公の奈緒子は半年前から、玄関で寝ている。

彼女は玄関に敷いた布団に潜って、もうこの世にはいない恋人におやすみを言って眠りにつくのだ。

ある日突然の事故で永遠に引き裂かれた奈緒子と恋人の加地君。加地君との思い出を抱いて、彼に引き寄せられるように、少しずつ死に向かうように歩く奈緒子に、加地君の友人であった巧は手を差し伸べるーー。

 

とても切なくて、かなしくて、素敵なお話だ。

わたしはまだ、大切な人を亡くしたことはない。もしも、わたしが誰か大切な人を亡くしたら……。誰もがそう思わずにはいられない、そんな物語だ。

 

奈緒子の恋人の加地君は本が好きな人だった。だから、彼女の家には彼の遺していった本がたくさんある。

ふとタンスの上を見ると、そこに加地君が遺していった古い文庫本がいっぱい積んであった。『車輪の下』『トニオ・クレーゲル』『舞姫』『斜陽』『モンテ・クリスト伯』『マノン・レスコー』『やけたトタン屋根の上の猫』ーー。本好きだった加地君は古本屋の店先に置かれている五十円コーナーをよく利用していて、ワゴンの右端から適当に買って、適当に呼んで、適当にわたしの家に置いていった。だからそれらの本は、裏表紙をめくれば、色の薄い鉛筆で"¥50"と書いてあるはずだ。

読書好きなら、たぶん加地君と同じようなことをしている人もいるんじゃないだろうか。わたしの持っている『流れ星が消えないうちに』の文庫本は色の薄い鉛筆で"¥250"と書いてある。

 

奈緒子が『車輪の下』を手に取って開いてみると、葉っぱが落ちてくるのだ。

加地君はよく、栞代わりにこういうものを使っていた。銀杏の葉とか、モミジの葉とか、そんなにきれいじゃない雑木の葉とかも。

そんな加地君が『車輪の下』に挟んでいたのはローリエみたいな色と形をした葉っぱで、それは奈緒子が拾って渡したものだった。

 

そんな風に、本にはときに思い出が挟んである。自分で挟んでおいたものからはもちろん感情が引き起こされる。

こんなことをしたなぁ、これを見に行った時はこの本を読んでいたんだっけ。

そんなことを不意に思い出すのは、結構楽しいことだったりする。

 

ほかの人が挟んでおいたものを見つけるのも面白い。誰かから借りた本で、そのひとが挟んだまま忘れてしまったメモ。古本屋で買った本から出てきた、前の読者がそのまま売ってしまった紙片。

そんなものを見つけると、この人はこんなことを考えていたのかなぁなんて想像がふくらむ。

 

わたしが昔、古本屋さんで買った本に挟まれていたもので、いちばん興味深かったメモがある。

チョコレート 100g×2

バター 200g

小むぎこ

かざり、ラッピング

絶対、絶対、バレンタインだと思う。何をつくったんだろう。ガトーショコラやフォンダンショコラ、ブラウニー。いろいろなことが想像出来てとてもたのしい。

とりあえずインターネットかなにかで調べて、ちょっとメモしてその時読んでた本に挟んだのだろう。少し崩れた「小むぎこ」がかわいらしい。誰に渡したのかな。

挟んでいたのは乾くるみさんの『イニシエーションラブ』で、なんだかそれも示唆的だ。

 

あなたも、なにかメモやレシートを栞代わりに本に挟んでおくのもいいかもしれない。

忘れてしまった記憶や感情をふいに呼び起こされるのも、意外といいものですよ。