パステルブルーの祝福を

少しずつ文学少女でなくなってくわたしの読書記録です。

呪いと救い。

 

"呪い"の存在を感じたことはあるか。

私はある。

 

ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の百合ちゃんも言ってたけれど、私たちの周りにはいろんな呪いがあると思っている。

若くなければ価値がないとか

結婚してないのはかわいそうだとか

女性経験がないのはみじめとか

小賢しいから選ばれないとか

逃げ恥にはいろんな"呪い"にかかった人が登場する。

 

その呪いは誰かからかけられたものもあれば、自分でいつしかかけてしまっていたものもある。

そうやって自分がかかってしまった呪いは解くのがむずかしい。

人からかけられた呪いなら反発して撥ねのけることもできるけれど、自分で欠けてしまった呪いは徐々に自分を縛っていく。

 

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が一世を風靡するほどの勢いになったのは、みんなどこかで心に呪いを持ってしまっているというのもありそうだ。

(もちろんがっきーがかわいいということは大きい。とっても)

私は原作も大好きだけれど、ドラマのほうが”呪い”の存在を強く感じる作品だった。まだ一回も観たことがないという方は一度観てみるのもいいかもしれない。

 

逃げるは恥だが役に立つ DVD-BOX

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自分で縛ってしまった呪いはなかなか解けない。だけどいつか、大切な誰かが解いてくれるものなのかもしれない。

逃げ恥を見てそう感じた。

誰かを好きになることは自分の呪いをさらに強く意識することだ。でも、そうして好きになった人と結ばれることは、好きな人に好きになってもらうことは呪いが解かれるということにもつながる。そう思う。

 

そんなわけで、

本日のおすすめ図書。

 

辻村深月本日は大安なり

 

本日は大安なり (角川文庫)

本日は大安なり (角川文庫)

 

大安の日曜日。

結婚式の会場にもなるホテル・アールマティは大忙しだ。

この本には主に4組の結婚式の様子が描かれている。

それぞれがいろいろな事情を抱えていて、一筋縄じゃいかない様子はとても面白い。

けれど私が特に惹かれたのは、その中の1組「相馬家・加賀山家」だ。

 

加賀山妃美佳には双子の姉がいる。

顔は全く同じだけれど、太陽のような魅力いっぱいの光を持つ姉・鞠香。その光を反射する月のように生きる自分。

限りなく似ていて、だからこそ違う存在と常に比較されて生きていくのはきっととても辛い。妃美佳は自分が一生処女なのではないかと、そう怯えていた。

私だってしてみたい。誰かに求められてみたい。

 

世間の一部からは「こじらせてる」と囁かれそうな考え方だけど、私は初めて読んだ時共感しすぎて怖いくらいだった。

"加賀山妃美佳"として、それ以外の誰でもない唯一の存在として愛されたい。その気持ちが痛いほどにわかる。(ふたごがいたらそりゃなおさらそうだろうとも思う。)

 

そんな妃美佳の話の中で私が最も印象深いエピソードが、姉の鞠香の手によってイメチェンするシーンだ。

化粧というのは、より鮮やかな目でそれまでの目を、より美しい唇でかつての私自身の唇を奪っていく作業でした。

出来上がった私は、「私」を捨てていました。

私もお化粧をする。目を大きく、唇を鮮やかに、頬を色付ける。私自身はお化粧が好きだし、お化粧をすることで一枚薄くてきれいなヴェールを纏ったような気持ちになる。

 

けれど妃美佳にとってはちがう。

私は鞠香に、されてしまった。

彼女にとって「美しい自分」は鞠香なのだ。

きっとお化粧をしないこと、髪や服に無頓着であること、それは妃美佳にとって分かりやすく「自分が鞠香でなく妃美佳」であることを証明するものだったのだ。

けれどその日から彼女は毎日コンタクトレンズをはめ、お化粧をする。

それは、妃美佳を消してしまう殺人です。

お化粧をして外見を美しくすれば、自分は鞠香のように受け入れられる。それを知ってしまっ妃美佳にとって見た目を繕うことは、"鞠香の擬態"であり、"妃美佳"ではなくなることだったのだろう。

 

誰かに唯一無二だと、世界で1番愛してると、そう言ってもらえたら。

そうすれば「自分は誰にも愛されない」「自分には価値がない」という呪いが解ける。

今では昔ほどそんな風に盲目的には信じていないけれど、たしかにそれは呪いの解き方のひとつだと思う。

 

さて、そんな呪いで強く縛られた妃美佳のアールマティでの1日はどんなものだったのか。

思っていた以上にずっと"ややこしい"彼女のした賭けとは?

 

"呪い"の解き方のひとつとし最高の答えかがある作品だと思う。(現実にありうるかはおいておいて)

ぜひ読んでほしい一作だ。

 

そしてもうひとつ。

坂井恵理『鏡の前で会いましょう』

主人公の明子はブス。でもそれを自覚し身の程をわきまえて、選択を間違えさえしなければ人生は楽しかった。そのはずだった。

そんな明子がある日、美人の親友まなちゃんと入れ替わってしまう。

 

明子はブスである自分に折り合いをつけ、自分なりに人生を楽しんでいる。それでもやっぱり美人になってから中身がまなちゃんの自分を見たり、”美人”として扱われたりすることで、ブスと美人の差について、本当の自分の見た目について思い知らされる。

「ブス」という言葉には呪いがかかってる

「お前なんか誰からも選ばれないぞ」って呪い

ブスという言葉をぶつけられた人は感じたことがあるのではないだろうか。

本日は大安なり』でも触れたけれど、誰にも選ばれないって呪いを打ち消したくて、それを打ち消してくれる他人探してるのだと思う。

 

明子とは逆に親友のまなちゃんにも"呪い"は

かかっている。

おひめさまになれない女の子だけじゃなく

おひめさまに憧れない女の子も同じように笑われるんだよ

美人なのに外見に無頓着だと「もったいない」と言われたり、恋に興味が無いと「枯れてる」と言われたりする。

そんな場面を誰もが目にしたことがあると思う。

けれど、それひとつの呪いなんじゃないだろうか。

 

女性の誰もがおひめさまに憧れる必要はない。選ばれなければいけないわけでもない。男性がおひめさま憧れること。誰にも選ばれたくないと思うこと。すべてが絶対にあることで、どれも私たちは自由に選べる。

けれど、そんな自分正しいって肯定してくれる誰かを必要としていることもある。

そんなことを、まなちゃんの言葉で感じた。

 

明子とまなちゃん入れ替わることで、、お互いのお互いにかけられている呪いを意識していくようになる。

現実では「入れ替わってる──!?!?」なんてことないけど、もうすこし想像力があれば大切な人の呪いを見つけられるかもしれないなぁと思う。

ならばそうしていきたいなぁ、とも。

 

                                       〇

 

私たちは自己承認欲求を持っている。

それは当たり前のことで、その満たし方は人それぞれなのだと思う。

恋で満たすひともいれば、自分の中でうまく調整できる人もいる。他人でしか満たせない人もいるのだ。そのどれもがその人にとって最適な方法で、そこに優劣はひとつもない。

 

今回紹介したのは「誰かに認めてもらいたい」と感じている人のお話がほとんどだ。(まなちゃんはちょっと違うかな)

私がこれらの話を通して感じたのはなにも「誰かに認めてもらえなきゃ意味が無い」ってことじゃない。

自分が自己承認欲求で苦しんでいる時に、もしかしたらそれを誰かがさらっと救ってしまうこともあるかもしれないということだ。

そして自分もそんな「だれか」になれるということ。

 

恋をすることや誰かと親友になることで、呪いが解かれることはある。

もしも逆に誰かが呪いをかけようとしてきたら、自分で呪いをかけてしまいそうになったら

そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。

(逃げ恥の石田ゆり子さん演じる百合ちゃんの言葉)

 

たくさんの呪いを抱える人達に読んでほしい、見てほしい3作品でした。

ではまた。